
こんにちは!ライフセーバー1年目、今年から鹿島の平井/下津海水浴場でガードを務めさせて頂いています、
東洋ライフ1年のたつやと申します!
いきなり題名から意味のわからないことを言ってしまってすみません🙇♂️
今回のお題は前回から引き続き「私が思うライフセービングとは」です!
僕がこのテーマを担当する最後のようなので、一味違った目を引くようなタイトルにしてみました。
ライフセーバーも人です。そして海水浴場に来てくださる方々も人です。
僕が実際に海開きした鹿嶋でガードに携わってまず感じたのは、人が人の命に携わることの責任です。
小さな子供やお爺ちゃんお婆ちゃんまで、皆が楽しそうに海水浴を楽しんでいるのを見ると、
微笑ましいと思うと同時に、命の重みを感じざるを得なかったです。
そしてその尊さを考えると、ガードにおける接客などのお客様と関わる時に、自然と温かさ、優しさが自分の中から生まれてくると感じています。一人の人間としての温かさ、優しさが僕にとってのライフセービングの一つだと思います。

そしてもう一つの僕にとってのライフセービングとは、僕がライフセーバーになろう、鹿嶋でなろうと決めた理由です。
鹿嶋、茨城だけでなく世界中にライフセーバーは沢山います。ライフセーバーも人だからそれぞれのライフセービングの形があります。
鹿嶋においては一人一人の先輩や同期と話す度に、それはそれぞれの人間性が表れたものだなと日々感じています。
誰が正しいなどはなく、
それぞれが違っている複数の人で成り立ったものがライフーセービングという活動です。
その結果が無事故に繋がるように、僕たちは違うもの同士集まって、日々練習や勉強をしているのだと思います。
そして全員が同じ目標を持つ時、全員が同じ色に染まる必要はないと思います。
ただ共通しているのはそれぞれが一人の歴としたライフセーバーであるということです。
求められるのは結果として一人前のライフセーバーであり、それは一人前の人であり、それは自立した人間だと思います。それによって一人一人が責任を背負うことができ、仲間に背中を任せながら協力してライフセービング活動を行えるのだと思います。
そのような自立した人が集まっているのが、鹿嶋ライフガードチームです。このチームをとても誇りに思うし尊敬しています。
僕が鹿嶋でライフセービングをしようと決めたのは、そこが自分に足りない部分であり、鹿嶋でなら自分で埋めることができると思ったからです。
人としての成長が命につながる。というのは初めは僕には大きすぎるし重すぎると思いました。今でもそう思います。
しかし一人前というのはそれ相応の責任を背負える人間のことを言うのだと思います。
辛いことから逃げることはいつでもできます。しかし目の前で助けを求める人を置いて僕は逃げれないと思います。しかし同時に過去の僕なら助けにも行かず、ただ何もできずに後から後悔するだけでしよう。

そこで逃げれない状態に自分を置き続けることで、一歩踏み出せる人間になれると僕は思いました。逃げられない環境とは常に人の命と向き合う環境や、精一杯真面目にそれと向き合う鹿嶋のメンバーとの時間です。自分の努力やチームのおかげで恐怖心や自尊心の低さ、弱さに打ち勝てた時、自分はライフセーバーをしていて良かったと思えるし、自分をライフセーバーとして認めると同時に自分を認めることもできると思います。
長くなりましたがまとめると、人の命を背負うのがライフセーバーであり、僕が目指すものです。
では最後に、そのようなライフセーバーがいるとどうなるのか。
人が紡いで繋いで人を守ることができます。
つまり人を楽しませる、安心させるため&救う為、命のために行動できるライフセーバーです。
ただ遊泳可能の絶対安全ラインを引くだけならライフセーバーじゃなくてもできます。全員足首までにすれば事故は起きないでしょう。
ではなぜライフセーバーがいるのかと言えば、ライフセーバーという責任を背負った人間がそこにいるから、遊泳客を理解し、楽しませられる、安心させられるのです。
また遊泳客がそこで海水浴できるのは、
地域の方々のおかげであり、そことのつながりなどもライフガード以外でのライフセービングとなるのです。
鹿嶋の海水浴場を通して人と繋がるのが鹿嶋ライフセーバーであり、それがライフセーバーが人である所以です。
仲間とそれ以外の全ての方々のおかげでライフセービングは成り立つのです。
これが僕の考えるライフセービングです。
とても長くなってしまいましたが最後まで読んでくださった方、「なげぇ」と僕と一緒に突っ込みましょう。
ありがとうございました。
「なげぇ」。
